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帰国してから10年の節目で思うこと

帰国してから10年の節目で思うこと

 

現在の活動について

国内私立大学を卒業後、1度の転職を経て、2021年現在は世界最大規模のプライベート・エクイティ・ファームの東京オフィスで働いています。

 

応募の動機と留学時代の思い出

米国で生まれたので、いつかまた海外で勉強がしたいという漠然とした思いがあり、本プログラムに応募しました。欧州へは将来仕事等で行く機会もあるだろうと考え、派遣候補生に選ばれてからは一貫して欧米以外の国への派遣を希望していました。
トルコで私が時間を過ごした地域は経済や教育の格差が大きく、お世話になった4つのホストファミリーを比べてもその差が顕著だったので、相手によってコミュニケーション・スタイルを変えなければいけないことに戸惑ったことを覚えています。ロータリーの青少年交換プログラムでは、派遣された国や地域の文化を吸収するだけではなく、自国文化を伝えることも求められます。ホストファミリーやクラスメイト、そして他の国からトルコに派遣された留学生のなかには、日本やアジアに対する偏見が強い方もいたので、うまくコミュニケーションがとれない場合は日本に関する誤解を深めるだけでなく、私も嫌われて留学生活が惨めになるのではないかと悩みました。一方で、2011年に東日本大震災が報道されたとき、通っていた学校中が私の家族の心配をしてくれ、町の知らない人が私が日本人だと知ると「家族は大丈夫?」と国際電話に使えるクーポン・カードをくれたり、何も言わずにレストランで支払いをしてくれたりと、数えきれない人の好意に触れました。このような経験をするうちに、考えが異なる人と対峙したとき、取り入ろうとするのでも考えを改めさせるのでもなく、自分でできる最善を尽くした上で双方の均衡点を探る方法を考えるようになりました。

 

帰国してから10年の節目で思うこと

帰国したのが2011年の夏でしたから、今年で丁度10年が経ちましたが、あのトルコでの1年に感謝しない日はありません。むしろ当時はあまりに強烈な体験だったので、消化に数年かかってしまい、社会人になってからのほうがありがたみを感じているかもしれません。
現在働いている会社は世界10カ国以上にオフィスがあり、常に複数のプロジェクトが走っているので、日々のコミュニケーションは必然的に英語で行います。国内外を問わず、同僚は非常に優秀な方ばかりで部署や立場もそれぞれ異なるため、米国生まれとはいえ第一言語が英語ではない私は些細なコミュニケーションでも考え抜いてからするように意識しています。これは、限られたトルコ語の語彙力でも相手に合わせて正しく意思疎通できるようにとコミュニケーションに気を使っていた留学時代の緊張感に似ています。当時は日本や日本人に対する誤解を解いたりすることが小さな成功体験でしたが、結局大きなプロジェクトは小さな行動の積み重ねなので、この慎重な姿勢は今日の仕事にもいきていると思います。
また、人との縁を公私共に大切にすることも学びました。蛇足ですが、プライベートでも10年前にトルコで会った友人が現在のパートナーです。帰国後7年間は友人だったので4Dルールには違反していません(ロータリアンの皆さま、ご安心ください)。

 

これから留学を考えているティーンへ

留学によって得る経験は人によって様々だと思います。人生が変わる経験になる場合もありますが、履歴書で一行増えるだけになるかもしれません。ただ、ロータリーの青少年交換プログラムでは、多くの日本人が社会に出てからも学べないかもしれないスキルや人生の長期目標を10代という若さで固める機会があると思います。私は、派遣候補生時代に先輩の背中を追い、帰国してからは大学卒業まで約6年間プログラムのサポートに関わって後輩の留学を見守ったことにより、色々な留学パターンをみることができました。元々の個性が光る人もいれば、プログラムへの応募時は凡庸な学生でも、派遣準備期間も含めた2年間で多くの壁に直面し、その度に自己分析と行動改善を行いソフト面、ハード面において驚異的な成長をとげた人もいます。帰国後の進路も様々なので、今日ではロータリーを通じて金融、戦略コンサル、医療、芸術と多岐にわたるフィールドにコネクションができました。
これからはオンラインで出来ることがどんどん増え、国際化も進むことにより、人間のスキルが似通い、差別化が難しくなる部分も出てくると思います。今はやりたいことが決まっていなくても、10代という若い時に自分の慣れ親しんだ環境を飛び出して新しい学びを求めることは、必ずその後の人生に資する経験になると思うので、是非勇気を出して応募してみてください。

2010-11年度 トルコ共和国派遣
小野澤 希美

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