小さな親善大使

「あなたも小さな親善大使になりませんか?」
新たな挑戦、発見や驚き、感動、そして大切な人々との出会い・・・
多くの刺激と、いつまでも心の中にしまっておきたい大切な思い出で溢れた一年。
誰のものでもない、あなただけの一年が待っています。
文化・宗教・言葉の壁を越えた、小さな友情の絆も、一つ一つがつながり、広がっていくことで、大きな輪となり、それはいつしか世界の平和へとつながっていく。
そんな想いが込められた、この青少年交換プログラムの青少年交換学生として、
皆さんの中にある可能性を最大限に生かしてみませんか。

ROTEXとは?

私たち2750地区ROTEX(ROTary EXchangee:ロータリー青少年交換学生)は、青少年交換プログラムに参加した帰国学生によって組織され、現在二十名前後の学生メンバーが、キャンプやオリエンテーションでの活動を通して、後輩の派遣学生や来日学生の支援を行っています。

ROTEXの体験談

以下は、高校時代に一年間、日本の家族や友人たちと離れ、一味違った経験をした私たちROTEX(ローテックス)の体験談です。

青少年交換イタリア共和国派遣

花原 楽人

Gakuto Hanabaru

2018-19年度 イタリア共和国派遣

スポンサークラブ:東京羽田ロータリークラブ

学校(派遣時):学習院高等科

進路:慶應義塾大学法学部法律学科


「カンパニリズモと人間実存」

 私がロータリー青少年交換にて経験した「小さな親善大使としての一年間」という時間は、所謂その一年間を異国の地で過ごすといった時間ではない。その時間というのは、自分と世界とかについて考えることを通じ、あらゆる物事に対してどのような態度を取って行くのか検討し始める、ある種自我が芽生えていくような時間であった。
 私の派遣先は、イタリアの北西部に位置するピエモンテ州のサルッツォという小さな街だった。中世にはサルッツォ公国が存在し、その後はサヴォイア公国やフランスなどの支配を受け、最終的にピエモンテ州全体はイタリア統一運動の発端であるサルデーニャ王国となり現在に至る。この歴史的背景により、赤いレンガや石畳といった中世の街並みが多く残っており、地理的にはワインの為に果物栽培が盛んであり、街の象徴である山のモンヴィーゾを越えるとフランスに直ぐに着く。そういった街である。私はその街で、イタリア人家族と生活し、高校に通い、派遣前からの念願であったサッカークラブにも所属した。それらの経験を通じて、イタリア人という語り尽くされたステレオタイプの「答え合わせ」もできた。
 そういった「答え合わせ」の中で、私が最も考えさせられたのはイタリアの中心的概念であるカンパニリズモについてである。カンパニリズモは鐘楼という意味のCampanile(カンパニーレ)に由来し、地元愛や愛郷心といった意味をもつ。カンパニリズモ・愛郷心はただ地元を愛するだけでなく、そこで生まれてそこで死んでいくことを意味する。いわば人間の「地産地消」である。実際、派遣中に話を聞いたところ、イタリア人の多くは大学進学や一定期間の仕事にて地元を離れることはあるものの、基本的には生まれた地域で一生を過ごすとのことだった。一方、日本の場合は都市部に人口が集中する傾向がある。地方と都市という二項を考えるなら、人間の「地産地消」ではなく、人間の「輸出入」が発生しているといえる。一口で言ってしまえば、地元贔屓なのだが、私はサルッツォでの生活を通じカンパニリズモという概念がイタリア及びイタリア人の根幹を形成していることを強く感じたのである。
 ある日サッカークラブでの練習後ロッカールームで、手足の長いキーパーのアレッサンドロが「何故、イタリアに来たんだい?」と尋ねてきた。私はイタリアの文化や歴史、サッカーに興味があったからだと言った。すると彼は「お前は、東京でこれから生きていくのだろう?何故、イタリアについて知る必要がある?」と返した。その通りだったかもしれない。彼は実家がパン屋で中学を卒業してからはそのパン屋で働き、サッカーの練習には働いた後に来ていたのだった。私たちはしばしば、素朴な問いにはっとさせられることがある。私は、モノなら何もかも揃った東京で生活し、普通にしていれば大学まで親の脛を齧って暮らし就職していく自分を問い直さざるを得なかった。「小さな親善大使」として私という人間を通して日本という国を理解されることへの苦悶を抱え肩肘張っていた私は、彼らにとってはちっぽけな何故だか東京からイタリアに来たヤツなのだった。
 今にしてみれば大したことではないかもしれないが、私はイタリアでのそういった生活で自問自答を繰り返した。17歳の私がいたイタリアはもう過去のことである。しかし、その私が今の私であり、暖かい太陽、少し苦手なバーニャ・カウダ、毎朝大声で起こしてくるマンマはいつまでも私の心にあるのである。その様な意味で「小さな親善大使としての一年間」は一生続いていくだろう。

青少年交換イタリア共和国派遣

⻑南 稀⾐

Mai Chonan

2017-18年度 イタリア共和国派遣

スポンサークラブ:東京成城ロータリークラブ

学校(派遣時):聖ドミニコ学園⾼等学校

進路:ダブリン⼤学トリニティカレッジ


「イタリアでの発⾒」

 陽気な⼈柄、美味しい⾷事、そしてキリスト教。この三点から成り⽴っている国こそがイタリアであると、以前までの私は思っていました。しかし、帰国後に感じたことは、北イタリア⼈は陽気かつ誠実であること、イタリア料理の中でもMamma(お⺟さん)の作るティラミスは格別であること、そして敬虔なキリスト教徒はほんの⼀握りしかいないということでした。
 「イタリア⼈といえばとにかく陽気である。」このようなイメージを持って北イタリアに位置するヴェネチアから電⾞で約30分の⼩さな街、ヴィチェンツァに渡航した私は、仲良くなった現地校のクラスメイトである友⼈の毎⽇の過ごし⽅を聞き、北イタリア⼈の陽気さだけではない、真⾯⽬さを早速発⾒することとなりました。イタリアの学校は基本的に午前中で終わり、昼⾷は家族と家で⾷べることが⼀般的で、⽇本のようなクラブ活動という概念はありません。その代わり、多くの⽣徒は昼⾷後に⾃宅で学校の課題や予習、復習といった勉強に⼒を⼊れているようで、彼⼥もその⼀⼈でした。全てのイタリア⼈学⽣がこのように勤勉なのかと思いきや、南イタリアのシチリア島では⽣徒だけでなく、先⽣でさえも⾬が降ると学校を休む傾向があると聞いた為、これは北イタリア⼈に多く⾒られる性格なのだと思いました。
 ⾷事に関してはやはりパスタが主⾷で、種類も多く、イタリア⼈でさえも全ての種類を把握出来ていないほどでした。しかし、毎⽇の昼⾷ではほとんどの家庭が同じようなショートパスタばかりを⾷べていました。他にはピッツァ、リゾットなど⽇本でも定番であるイタリア料理が多く⾷べられており、どの料理も⾆⿎を打つものばかりだったことを思い出します。その中でも特にお気に⼊りだったMammaのお⼿製ティラミスは本当に⼤好きだったので、⾷卓にティラミスが並んだ⽇には家族みんなが真っ先に私に教えてくれるほどでした。
 ⼀年の派遣⽣活の中で⼀番驚いたことは、イタリア・ヴァチカンが総本⼭であるキリスト教についてです。幼い頃からカトリックの学校に通っていた私は、多くのイタリア⼈は敬虔なカトリック教徒であると信じていましたが、いざ現地に⾏ってみると、ほとんどの信者が教会に通わず、さらには私のクラスメイトの1/3は無宗教であることが分かりました。イタリア⼈は皆キリスト教の信者であると⻑年信じてきた私にとって、この事実はまさに驚愕に値するものでした。
 この他にもイタリアで出会った世界中の派遣⽣との交流により、多くの驚きと発⾒が得られました。現地で体験したことは私⾃⾝の成⻑を促すだけでなく、⾃分の可能性と視野をも⼤きく広げたことに繋がっています。⼤学時ではない、⾼校時の異⽂化体験がきっかけとなり、海外への進学を志したことは⾔うまでもありません。
 このプログラムで素晴らしい経験をさせて頂いたことに感謝すると共に、より多くの⽅にこのプログラムに興味を持って頂けると嬉しいです。

青少年交換アメリカ合衆国派遣

市川 優佳

Yuka Ichikawa

2016-17年度 アメリカ合衆国派遣

スポンサークラブ:東京山の手ロータリークラブ

学校(派遣時):和洋九段女子高等学校

進路:早稲田大学文化構想学部国際日本文化プログラム


「私との出会いで、日本に興味を持ってもらう!」

 一年間の派遣生活は私にどんな困難な状況でも「なんとかなる!必ず自力でなんとかする!」という力を身に着けてくれました。小さな親善大使として派遣された私には様々な困難を乗り越えて最終的には私と出会った人たちが、私との出会いから日本人を好きになり日本国への興味を深めるようになるという目標がありました。
 派遣一年前から沢山の研修を受け、8月末いよいよ出国の時がきます。飛行機に乗りボストンへ、早速9月から現地高校での学校生活が始まります。アメリカの高校では日本のように所属する「クラス」というものがなく、それぞれが履修したクラスを行きかう仕組みになっているので当初友達作りには大変苦労しました。友達の名前を覚えることさえ簡単ではなかったので毎日左手に名前を、右手には「I want to get to know you more !」と書き記し自己流のコミュニケーション作戦を展開しました。現地の学生達が初めは私に少しも関心を寄せてくれなかったので苦労の末に始めました。
 小さな親善大使の役割を果たす為に実行したエピソードを二つ紹介します。
 一つ目はジャパニーズイベントの実行です。これは自ら企画して学校長に許可をもらい、校内のカフェテリアで日本文化ブースを実演するものでした。200人ほどの前で浴衣をはおりマイクを握って日本の生活様式を沢山話しました、なかでも日本のトイレ「ウォシュレット」については、まるでトイレがようこそと出迎えてくれるようだと話し多くの笑いをもらいました。日本人らしいおもてなしの心が生んだ製品ですと。またこのイベントでは巻き寿司を作って皆さんに食べてもらいました。
 二つ目は自らホストファミリーを見つけたことです。私は演劇部、コーラス部、陸上部と沢山の課外活動に参加しましたが、その中で陸上部に後に親友となるレイチェルとの出会いがありました。国籍と育った環境の違いがあっても、通じ合える素晴らしい人格は世界共通です。私は帰国までの一年で彼女と「親友になる」と心に密かに決めていました。その思いがかないレイチェルと家族が帰国前の最終ホストファミリーをやりたいと申し出てくれた時は感動でした。
 これらのエピソードの陰には沢山の苦労と涙がありましたが、このプログラムからの学びは「なんとかなる!なんとかする!」という強い意志力を持つことでした。帰国後のローテックス活動では先輩としてこれから次の経験に旅立つ後輩達へのサポートや、来日した海外の学生達の相談に乗ったりしています。このプログラムは派遣前研修、海外派遣、帰国後活動と長いものになっているのが素晴らしい点です。これらの活動が今の私を作ってくれたかけがいのないものになっています。

青少年交換フランス共和国派遣

青柳 宏紀

Koki Aoyanagi

2015-16年度 フランス共和国派遣

スポンサークラブ:東京目黒ロータリークラブ

学校(派遣時):成蹊高等学校

進路:成蹊大学経済学部経済経営学科


「究極のマイノリティー体験と戦う1年間」

 皆さんこんにちは。2015-16年度フランス共和国に派遣して頂きました青柳宏紀と申します。今回は青少年交換プログラムで私が学んだことについてご紹介したいと思い文章を書かせて頂きました。突然ですが本プログラムに応募を検討されている高校生の皆さん派遣生活でどんなことを学びたいと考えていますか?英語やフランス語などの言語を習得したい、異文化に触れてみたい、海外で生活してみたいなど様々な理由があると思います。ちなみに私がこのプログラムに応募した理由は「なんとなく(笑)」です。皆さんのように自らホームページに飛んで体験談を読むほど当時の私は意識が高くありませんでした。
 しかし、そんな私が派遣から5年経った今でもこのプログラムを通して学んだことは何かと聞かれたら1つ明確に答えることができます。それはタイトルにもあるように「究極のマイノリティー体験」ができたことです。私が派遣して頂いた場所はドが付くほどの田舎街で、通っていた高校には日本人どころか外国人も自分以外いませんでした。フランス語も全く話せず、周りが全員フランス人という環境はその集団において「究極のマイノリティー」だと思います。しかしそのような状況に置かれて初めて感じることが沢山あります。16年間海外に行ったことがなく日本で生きてきて当たり前だったことが一瞬にして覆されることや、日本では感じることがなかった他者との違いに葛藤することなど、当時は悩みもがきながら派遣生活を送っていました。マイノリティーになることは決して楽なことではありません。差別のようなものを受けることもあるかもしれません。ですが、他者との違いを初めて身を持って実感することで自分のアイデンティティについて見つめ直す機会を得ることができます。自分が日本人であるということはどういうことか。自分は将来どういう分野で活躍したいのかなど自問自答を繰り返すことによって、高校生という早い時期から考えることでその後の進路に大きな影響をもたらしてくれると感じています。私自身もこのプログラムを通して自分の人生の可能性を広げることができたと感じています。
 このロータリー青少年交換プログラムから帰国後、大学の交換留学プログラムを利用し再びフランス共和国に留学し、現在は国際支援や国際協力の分野の知識をさらに学びたいと考えフランスの大学院を目指しています。このように自分の可能性を広げてくれたロータリーの青少年交換プログラムに参加できたことは自分の人生の中での大きな財産です。ぜひ応募を検討されている皆さんも「究極のマイノリティー体験」をしてみませんか?

青少年交換ドイツ連邦共和国派遣

谷野 理星

Rise Tanino

2015-16年度 ドイツ連邦共和国派遣

スポンサークラブ:東京iシティロータリークラブ

学校(派遣時):多摩大学附属聖ヶ丘高等学校

進路:国際基督教大学教養学部文化人類学専攻


「辛くて爽快。価値観理解の奥深さ」

 涙あり、笑いあり、必死に毎日を生き抜いたドイツでの派遣生活は、今の自分の礎を築いてくれた大変貴重なものです。特に、日本人と意見の伝え方が180度違うドイツ人と過ごしたからこそ「異なる価値観理解」の大変さと、奥深さを学びました。
 派遣開始当初、ほとんどドイツ語を話すことができなかった私は、大好きだったダンスを通じてドイツ人と仲を深めたいと思っていました。早速ホストマザーにダンス教室の体験に連れて行ってもらいましたが、レッスンのスタイルが気に入らなかったので、そこで続けようとは思いませんでした。先生に感想を聞かれたとき、「楽しかった、ありがとう」と答えると、「じゃあこれからも来るね」と言われしまい、「まだ分からない」とあやふやに答えて帰ってきました。この対応についてホストマザーは、なんて失礼なことだ、と怒りました。もし気に入らなかったら、「好きじゃなかった。他を紹介してほしい」と正直に伝えなければだめだと。私は、「失礼の無いように」と思ってした行為でしたが、こちらではこの気遣いが失礼にあたることだったと知って、とても混乱しました。他にも、相手を想ってした行為が、逆に相手を傷つけてしまったり、人からの態度に必要以上に感情的になってしまったことが、何度もありました。自分の努力が裏切られた気がして、その度に落ち込み、悩みました。
 しかし、しばらくドイツ人と生活するうちに、彼らの正直な言動の裏にはいつも、「思いやり」がある、ということに気がつきました。相手のことを考えているから、どんなことでも真っ直ぐに伝える。意見が衝突しても丁寧に議論を交わすから、信頼関係を構築できるのだ。と納得しました。この「正直に自分の意見を伝える態度」も、日本の「相手の意思を尊重して自分を抑える態度」も、表現方法が異なるだけで、「相手を思いやる」という本質は、どちらも同じでした。これが腑に落ちてからは、ドイツ人になりきることができました。相手の真っ直ぐな言葉を素直に受け止め、自分の意見を伝える心地よさを、知っていきました。ダンス教室も妥協せずに探し、自分にぴったりのチアリーダーのチームに入りました。そこでも、メンバー同士の衝突は何度もありましたが、お互いを尊重し合ってるからこそ生まれるものだ、と感じ取れました。自分の「ことば」であるダンスで繋がり、真っ向から向き合える仲間と活動できて、毎日が満たされていました。7月末には、メンバーと何ヶ月もかけて練習したダンスを、広いラグビー場で披露し、華やかに派遣生活の終わりを迎えることができました。
 日本での高校生活が日常の中心だった私は、ドイツで「価値観の違い」という壁に当たって、たくさん苦しみました。苦しんだからこそ、受け入れられた時の喜びや爽快感を味わいました。そしてこの、自分とは異なる価値観を、「相手と同じ生活をすることで」徐々にわかっていく感覚が、とても面白いと思うようになりました。現在大学で「文化人類学」を専攻し、学問として文化の違いを探求するようになったのも、ドイツでの一年間がきっかけです。学問的興味はもちろん、言動を表面だけ見て判断せずに、その裏にある意図や背景を想像しながら、人と、世界と接したい。そう思わせてくれた青少年交換プログラムには、心から感謝しています。

青少年交換トルコ派遣

A.O.

2012-13年度 トルコ共和国派遣

スポンサークラブ:東京目黒ロータリークラブ


日本人との違い、自分との違いを受け入れることの難しさ。

高校生で親元を離れ、言葉のわからない地に飛び込むというのは、海外に漠然と憧れを抱いていた私の予想を遥かに超える、本当に濃い毎日であった。そのなかで私が常に意識していたことは、考えつづけることだ。一見簡単そうに思えるが、これを意識していないと何も考えずにあっという間に時が過ぎてしまう。

そんななかで一番私を変えた経験は、日本人との違い、自分との違いを受け入れることの難しさに気付き、乗り越えられたことであった。日本とは大きく異なる集合体で生き、様々なことを吸収していくなかで、周りが自然に私を受け入れてくれることなどなかったし、私自身も相手をただ受け入れることは出来なかった。トルコ人はとにかく自国愛が強く、そして誰もが自分を一番に考えている人々である。来土生の友人も一人一人、国々で本当に皆が異なる。私にとって一番大きな壁となったのは、そんな人の違い、日本人との違いだった。とにかく彼等を受け入れることができず、なぜ私は彼等を否定しまうのかと何度も自らに問い続けた。考え続けた結果、私は今まで自分が正しいと思いながら生きていたのだと、だから他を受け入れることが出来ず、自分以外の考えを否定しているのだということに気付いた。しかし自分の意見を隠し、彼等の意見にただ賛成して彼等に好かれるように生きることもできなかったので、私は私の意見を主張した。それと同時に、相手に指摘され自分が間違っていると思った点を自分で認め、それを受け入れる努力をした。たしかに、相手とぶつかりあうことは多かったが、そうすることで私は相手の意見を尊重し、受け入れられるようになった。言葉の壁、文化の壁、価値観の壁があり、日本よりはるかに自分の意見を主張することが難しい環境下に置かれたなかでも自己の意見を主張すること、そして、主張しつつも他人や他国の考え方を受け入れることがいかに大切であるかに気付いた。

ロータリーでの事前研修は、ただ1年間を海外で送るだけでなく、必ず成長して帰ってきたいという強い決意を芽生えさせて下さり、ロータリアンの方々には日本でも現地でも常に支え、様々なサポートをして頂いた。国際ロータリーの青少年プログラムだからこそ、こんなにも素晴らしい貴重な経験をさせて頂くことが出来た。

青少年交換ドイツ派遣

A.H.

2011-12年度 ドイツ連邦共和国派遣

スポンサークラブ:東京多摩グリーンロータリークラブ


生きるうえで不可欠な「頼る力」

一年という期間を一つの出来事とするにはあまりに長すぎるかもしれませんが、青春時代の留学経験は、私に大きな影響を与えました。ドイツ語が話せるようになったことや、ヨーロッパの様々な文化に触れられたことなど、得たものは沢山ありますが、日本に帰ってきたとき、主に三つの点で、私は留学前とは違う「私」になっていました。

ドイツに行くことがきまったのは、出発の八ヶ月前でした。話すことも聞くこともままならないホームステイ生活は簡単なことではなく、毎日苦労の連続でした。私は、小さな親善大使という名の「非力な外国人」になったのです。元々はどちらかというと人から頼られるほうで、人の世話を焼くタイプなので、頼ったり相談したりというのは、不慣れで不得意なことでした。しかし、人の手を借りないことには何もかもどうにもならない。これを経てやっと、生きるうえで不可欠な「頼る力」を身につけたのです。

留学生は一年間で、世界中に友達をつくります。今の私は、国の名前を聞くと、そこにいる友達を思い浮かべます。誰も友達のいる国にミサイルを落とそうとは思いません。彼らの個を知り、人間らしく関わったあとでは、「これだからアメリカ人は」とか、「中国人はキライだ」とか、そんなことは言えません。笑って幸せでいて欲しい人が世界中にいて、いやでも世界平和を願う。これが二つ目の影響です。

三つ目はとてもシンプルです。ドイツの長い放課後が、私自身に私の夢を気づかせ、好きなことに素直に生きるドイツ人が、夢を追う勇気をくれました。あの一年のおかげで、私はいま、夢を追いかけることが出来ています。

青春時代のこの経験は、私の人生を変えた出来事でした。

青少年交換タイ派遣

H.M.

2013-14年度 タイ王国派遣

スポンサークラブ:東京立川ロータリークラブ


「異文化理解」

「異文化理解」 このたった5文字の言葉がいかに難しく、そしていかに単純か、私はタイでの留学で思い知らされました。

私はタイの首都バンコクに派遣していただきました。タイは日本人も多く、日本と同じアジアという事で共通点や似たところも多かったのですが、やはり違うところもとても多かった。特に考え方の違いは私にとって衝撃的なことばかりでした。 例をあげるとすれば、まずタイ人は本当に小さいことを気にしません。予定があってもそれ通りにはまず進まず、待ち合わせでの30分以内の遅刻はたいした問題ではありません。これには日本から来た私ははじめとても戸惑いました。ですが逆にその分、タイ人はめったなことでは怒らず、私が少しミスをしてしまっても「マイペンライ!(大丈夫)」と笑って言ってくれます。
こんな優しくのんびりとしたタイ人ですが、日本から一人で来た私にとっては上に挙げたような小さな違いにストレスを感じてしまう事がありました。異文化というのは、私の今までの価値観を全くもって崩されてしまうようなこともありますし、それは今まで自分が正しいと思っていたことが間違っていると言われるようなもので、その時の私にはそんなに簡単に受け入れることができるようなものではありませんでした。

ですが、こんな私の葛藤はある一人のタイ人の友達に出会ったことで消えました。
その友達は私のそれまでのタイ人の友達には珍しく、静かで、シャイで、几帳面な女の子でした。私はそれまでタイ人に対して、楽しいことが大好きで、良くも悪くも大雑把、というイメージを持っていました。しかし、当たり前のことではありますが、日本人にも真面目だったり大雑把だったり、いろんな人がいるように、タイ人にも色々な人がいます。そのことに、私はこの友達に会ったことで改めて思い知らされました。 このときから、私は人と接するときにその人がタイ人だとか日本人だとかいう事を意識せず、その人ひとりに向き合うようになりました。タイ人と一口にいっても様々な人がいるとわかったからです。

異文化に触れるというのは今までの自分の価値観を崩されるという経験であり、それを理解するのははじめとても難しいことです。ですが、人を国籍関係なく一人の人間として見られるようになったとき、その人を理解することができるのだとこの留学は私に気付かせてくれました。